第九話:THE QUEEN 前編。
四月一八日。午後五時一三分。
マジですか!?
叫ばずにはいられない。おれの足――――てか、おれって今、屋根という屋根を飛び跳ねまくって疾ってんすよ! ちょっと、マジですか? 何で追ってこれるのさ!
おれだって身体能力はある程度は理解しているよ! ビルくらい簡単にのぼれる脚力に車に負けない速度すらある。
ナノニぃ! 後ろで追っかける迷彩柄が迷彩になっていない人たちは余裕で。いや、むしろ、徐々にだけど追い付こうとしてる!?
「嘘だぁ! 何で? 何で? 何故にホワイィ?」
「あっ? 今の発音は素晴らしいです」と、小脇に抱える女の子が、べりーぐっととか言って親指を立てて笑顔。今の発音の評価か? この状況下でか? しかも、ジェットコースターなんて眼じゃない速度を! この子ってもしかして大物か!
「さんくす・・・・・・・・・ってぇ! 余裕ないっすよ!」
「いえいえ。私も何だか、絶叫マシーンに乗っているみたいで、楽しい気分になってきましたよ?」と、英語だけど何か軽い会釈つき。何となく、ニュアンス的にこんなの慣れっこってこと? すげぇ〜ほんとに大物だ。
「君? 中々、余裕があるな? 将来は大物になるぞ?」と、背中にはもう追い付いてきたあの迷彩柄の男が感心したように呟いた。しかも、その背後にもちゃんと追い付いてくる迷彩柄の四名。
絶対におかしい。こちらのスピードに余裕で付いてきた上、褒めますか?
「その将来のためにも、さっさと止まる事をお勧めしよう」
銃口がもう向けられていた。引き金に指はそえられ、撃つ気満々。
「止まれるか! アンタあれか? 銃口を向け合って〈お互い仲良くしましょう〉とか、言っちゃうのか! それで仲良くなれるとでも?」
まず銃とか暴力とかではなく、話し合いで解決するのが基本だと思う。人間は争うばかりの生き物じゃないです! 母ちゃん以外の生物は!
「違うのか?」
うわぁ〜メッさ、違う世界に生きている人だ。殴ればそれで済むと思っている人だ。暴力で解らせようなんて、最低だ!
「おれはそんな交渉術はお断りだ!」
「そうか。なら仕方が無い」
命まで取らないと、呟きながら容赦もヘッタくれも無く銃口から火花が吹く。二連射された弾丸。その先は狙い違わずに、おれの両膝を射ぬこうとしている。
「ムッ?」
男の小さな驚愕。何故ならおれは足の回転をさらに上げて加速で振り切る!
弾痕を刻んだ雑貨店の屋根を蹴り上げ、高々と聳えているガートスビルの壁に爪を立てる! コンクリーが抉りつつ、片腕の力で思いっきり跳ね上がる! 途中で重力に囚われるが今度はそのまま両足で壁を垂直で全力疾走!
「やるな」
「マジっすか!」
叫ばずには入られない。何と声を掛けてくる男は横に並んでいた。驚き過ぎて霊児さんみたいな驚きキャラと化してしまう。
追いかけてくる後ろの四名すらもおれと同じように、高層ビルを垂直の壁を駆け上がっていく。
「だが、チェックだ」
男は呟き、銃口をおれへ向ける。
――――どうする? 防ぐモノも無いぞ? しかも左手は女の子を抱えたまま。空いている手は右手のみ。
(防げよ! タコォ! 〈俺〉はこれ位余裕だろうが? たかが豆鉄砲。たかが二メートル程度の距離だろうが?)
頭蓋を抉るような怒声に、背筋は寒気と熱気に支配される。それと同時に、吐き出された弾丸! 鋭い銃声!
しかし、おれは右腕を振って弾丸を弾く! 擦過音が鋭くビル風に乗って響き、弾丸は逸らされ、おれの背後をすり抜けてガートスビルの窓ガラスを叩き割る。
舞い落ちていくガラスの破片を避けて、背後の集団もフォーメーションを変更。
二つに分かれた集団はおれの背後と、男の背後へと移動する。
「ほぉー?」
男は感心したように見入る。おれの右腕――――漆黒のスタッズで覆われた暴力のアートを。
「〈悪魔憑き〉か? 面白い。どこまで耐えられる?」
言下、男は引き金を立て続けに引きまくる。右半身を満遍なく。額、肩、脇腹。
「シャァ!」
それら弾丸を右腕で高速に振りまくる。腕に覆われた凶悪な金属は鉛弾すら捻じ曲げ、火花を散らして防ぎ切る。
弾丸の一発一発は凶悪な衝撃。映画での揶揄でよく、弾丸一発で人間が吹っ飛ぶシーンがある。まさにそれと同じだ。本当、プロボクサーに殴られたかのように身体が吹っ飛びそうになる。
でも、母ちゃんの拳骨に比べれば、こんなものは何度も経験積み。だが、未経験は足場だ。高層ビルの垂直。少しでも躊躇して止まるだけで、一度バランスが崩れてしまえば、そのままビルからまっさかさま落ちてしまう。足場――――固定できる――――何か――――そう、例えばビルの壁を突き立てる鷲爪が欲しい。容易くコンクリーを抉り、スパイクにもなる鋭い爪が――――
再び響いてくる――――脳髄を沸騰させる声音。
(あるだろう?)
おれのスニーカーから鋭い音が響く。足の五指が変形し、スニーカーが破れて鷲爪が現れる。
頚骨からも刺々しいスパイクが飛び出す。
ぞわり――――と、内側から滲み出る狂暴な流動。
コンクリーを抉り、刻み、おれの踏み込みで穿たれた後を点々と作り上げていく。
「ムッ?」
男は驚き、おれと並行に走りながらマガジンチェンジ。
そして、再び銃口から毒々しいマズルフラッシュと右腕の擦過音との火花。
高層ビルを垂直で駆け上がりながら、銃撃を防ぎ切っていく。
再び、マガジンチェンジに入る男。おれはそれを好機と見なし、鷲爪で全力の飛翔。身体をビルの壁と水平にして空気抵抗を最少とし、高層ビル屋上の柵を越える。
体勢を整え――――ジャケットを内側から突き破って現れる四本の鎖が、柵を雁字搦めに固定し、引っ張りあげて屋上に着地。
「逃がさんぞ――――」
あとに続く言葉は何だったのか――――おれには解らない。ただ、おれがしたことは柵を鎖で引っこ抜き、空中にいた彼等に向かって思いっきり投擲しただけ。
空中で逃げ場など皆無。防ぐとしてもタイムラグが生まれる。無い頭で懸命に搾り出した作戦は、成功と思われた。だが相手も流石だった。
横一列に並んだ全員が、風切り音を発した柵を拳と蹴りで上空へと弾いてしまう。
クソ! やっぱ、逃げるだけが精一杯か?
「チィ!」
おれは彼等に背を向けて、屋上を疾走。反対側の柵を全体重で凹ませながら踏みつけ、ビル風が荒れ狂う空中へと身を投げ出す。
ビルの壁を、
電柱と信号を、
何十と踏みつけ、粉砕しながらとうとう不城町まで来てしまった。
未だ追いかけ続ける集団。だが、足と腕の変化か、後ろの集団よりもほんの少しだけは、スピードを上回っているようだ。
でも、放せない。
これでは不味い。そして、相手は飛び道具。こっちには左手に女の子。その女の子は黄色い悲鳴を上げて、本気で楽しんでいる。マジで大物らしい。
しかし、必死で逃げるおれには余裕が少しも無い。
知恵を搾り、集中力を鋭敏にし、回り全てを観察し、後方の連中と自分との比較検証を知恵熱が出そうなほど考え抜く。
足を止めて闘う事は不利だ。
しかし、相手も同じようだ。何故か、彼女だけを避けている。先の攻撃のようにおれの右側しか攻撃を仕掛けようとはしていない。
ふと――――視界に映った児童公園に眼が行く。
自分に出来て、相手に出来ない方法――――あるじゃんか!
「よし!」
一瞬の閃きに賭けて、おれは児童公園へと高度を下げていく。
おれが出来て、あんた等には決して出来ないこと。
あんた等は確かに、おれに余裕で勝てるだろう。それは絶大に揺るがない可能性だ。でも、絶対じゃない。
四月一八日。午後五時一六分。不城町児童公園のベンチ。
「大丈夫ですか? 局長?」
ディアーナに支えられてカインはベンチに座る。投擲したグラムもディアーナに返してもらっている。
二人は下水道を通過し、そのまま一直線でこの公園まで撤退したのだ。ディアーナに障害物という意味を無くしてしまう。身体を透過できる彼女に、迷路など無意味に等しい。
「ディアーナ・マキシミリアン・・・・・・・・・」
朦朧とする視界の片隅に、青い双眸のディアーナを見入ってからカインは顔を顰めた。
「お前には帰還を命じたはずだ。何故、未だに〈鬼門街〉にいる?」
「うっ・・・・・・・・・・・・」
俯いて何も言わなくなってしまうディアーナ。泣きそうなのか、下を見たまま目を合わそうともしない。
部下の真意が解らぬまま、カインは溜息を吐いて頭を振る。未だ薬のせいか、気だるげで奈落の底まで落ちてしまいそうな睡魔が襲っている。喋るのも徐々に億劫になってくる。
「命令違反は後で追及する――――しかし、それよりも・・・・・・・・・助かった」と、短いながらディアーナに礼を言うカイン。ディアーナは何が嬉しいのか、クシャクシャの微笑で顔を向けてくる。
カインにはディアーナのことが判らない。仕事も実務もこなしてくれるのは嬉しいのだが、自分の実力以上のことを時折やろうとする。
今回の鬼門街来日も、そしてあの部隊の中を割り込むことも。
危なっかしい部下という印象しかカインには無い。
「いえ、当然です。あなたに救われた命です。この命は貴方のものです」
「前にも言ったが、俺の〈ため〉ではなく〈聖堂のため〉に、その命と力を使え。それ以外で死ぬ事は許さん」
ぴしゃりと訂正させるが、ディアーナは悲しそうな顔でカインを見たまま黙している。
「それと、お前の〈物質透化〉は現界の遮断だ。長時間使うなと忠告したはずだ。また幽界に引き摺られる。次は〈ソロモン王の階層〉ではすまされん。鬼門街なら生身のまま、最下層の〈氷獄〉まで一気に引き摺られる可能性すらもある。これらを考慮すれば、お前を連れていかなかった理由は、判っていたはずだろう?」
喋るのも億劫だが、言わなければならない事は言う。
位階は確かに低い。だが、内在する才能は聖堂でも群を抜くであろう。その上、未熟を補って余る魔術が、彼女にはある。
〈ソロモン王の七二柱〉の一つである〈西方の王ガープ〉の眷族に半ば、人間のまま入れられた存在。
その能力の一端を持って、物質透化の魔術を自在に操る彼女は確かに〈聖堂悪魔払い機関〉には、必要不可欠である。
攻撃面に特化し過ぎていて、防御面は脆い。防御面と攻撃面のアシスト役としては、期待のホープであり、カインが眼を掛けている理由でもある。
しかし、諸刃。彼女が魔術を使えば、使うほどこちらの〈世界〉と掛け離れていく。その懸念があるからこそ、カインは忠告する。カインも半分だけだが、〈向こう側〉に身を置いている存在だけに。
「その時は、また局長に助けてもらいます」
いっそう清々しい微笑で。他力本願なセリフだが、カインを信用し切っている瞳の輝きがあった。
半年前、〈ソロモン王の階層〉に囚われた彼女を救ったのがカインである。見捨てる事も出来ず、無駄な仕事までしてしまったのが運の尽きだった。それ以来、彼女はカインの傍に付き従い続けている。
頼りになるが危うい部下に、カインは疲れたように肩を竦めた。
「――――ハァァ〜。お前と話すと無駄に疲れる・・・・・・・・・・・・」
「ありがとうございます」
皮肉なセリフと信頼を混ぜ合わせるディアーナに、カインは再び溜息を発した。
やはり、苦手だ。
深々と溜息を吐き、剣を地面に突き立ててベンチに凭れた。
「大丈夫ですか? お疲れのようでしたら、少し睡眠を――――」
「いや、今寝たら何時起きられるかが不安だ。すまないが――――」
言いながら、ポケットから革の財布を取り出して一万円札をディアーナに渡した。
「これで――――」
「はい! コーヒーのブラックですね?」
すらすらと、言おうとしたセリフを先回りして言うディアーナに、カインは一瞬目を見開いて驚いてしまう。たが、当の本人は怪訝と首を傾げてどうしましたか? と、不思議そうに訊いてきた。
「何でもない・・・・・・・・・それでは頼んだ」
「ハイ! 頼まれました!」
トタトタと――――児童公園から抜けて行き、走り去っていくディアーナの後姿が見えなくなってから、カインは深々と溜息をついた。地面に視線を向けるだけで、陰鬱な気持ちが広がっていく。
「アイツくらいはまともだと思ったんだが・・・・・・・・・・・・ヨシャアとミーナは、悪気と悪戯だから殴ってもいい。ギョウスは殴らないと、精神的に疲れる。アンソニーは勝手に忠義だのホザいている〈ナンチャって忍者〉だが、実績と戦闘能力。何よりまだ真面目だから許せる。だが・・・・・・・・・・・・ディアーナは真面目なだけに始末が悪いような気がしてきたぞ・・・・・・・・・・・・しかも、俺のパシリが板に付きすぎていないか?」
どうして俺はまともな部下がいないのか? などと落ち込んでいく気持ちにカインは頭を振る。きっと、薬の中には鎮静剤も入っていたに違いないと、気持ちを切り替えて顔を上げた瞬間だった。
晴れ渡った青空――――そんな空を飛翔する背中の鎖を引き連れ――――漆黒の両手足――――首にスパイクを生やした何かが、カインの頭を超えて児童公園の中央に降り立つ。着地と同時に地面は騒音と共に陥没!
そして、素早く振り向き――――静かにそっと――――小さな女の子を下ろす。その人物は朦朧とする眼だろうと、間違う事はありえない。
永遠の忠誠を誓った女性の妹。〈魔剣〉が今だ〈人の力〉であるために必要不可欠たる人物。女教皇ラージェその人。
「殺った!」
ギラリと真っ赤な紅眼を光らせて雄叫びを上げる。
再びカインの頭を超えて飛翔する!
頭上を見上げるカイン。そこには五人の迷彩柄。抗戦したあの兵士達の仲間と、予想できる。
雄叫びを上げた何者かは、肉迫して先頭の男に飛び蹴りで吹っ飛ばす。その上、投擲の武器としても利用し、フォーメーションを組んでいた二名に激突させる。その反動を利用し、次に残り二名の男女へ宙空で踊り掛かる。だが、その男女も素早くナイフを抜くが、空中。しかも、重力に囚われるだけの人間には購いがたき現実。しかし、その人物は違った。鎖から引きずり出されるかのように、四枚の黒翼を広げて重力を無視して上空を制覇! 男の肩に踵落としを喰らわせて、ベンチ横のジャングルジムに衝突! そこからさらに鎖は伸びて女の身体を簀巻きにし、そのまま金槌の如く扱う! 激突してフォーメーションが乱れた残りの三名を薙ぎ払う!
響き渡る撃音! シーソー、ブランコ、滑り台、砂浜を木っ端にして激突する四名に遅れて、カインの座るベンチの後ろへと着地を決める、四枚の翼を広げる人物。
―――― 十把一絡げ・・・・・・・・・そんな言葉ではまだ足りない。無茶苦茶でも、まだ甘い。空中という常識を根幹からひっくり返し、根本的な重力すら無視し尽くした戦闘だった。
常識を脱したカインが、常軌を突き抜けていると認めてしまうほど。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ・・・・・・・・・・・・・上手くいったよ・・・・・・失敗したらどうしようとか思ってたけど、上手くいったよ・・・・・・・・・よかったよ〜」
修羅場を幾万と潜りぬけたカインですら、驚愕する戦闘を行なった人物は笑うような――――それでいて、本気でビビりまくった情けない声音が響いてくる。
ガタガタと振るえる肩と膝を懸命に動かして、置いてきたラージェへと歩み寄っていく。
カインは無言。あの壮絶な空中戦を見せられ、カインはその人物の背中を見入る。
自己申告のつもりだろうか、背中からはみ出た鎖。そのジャケットには――――デンジャーのスペル。
鬼門街のバイオレンスメイカーと恐れられている、真神誠その人。
朦朧とする視界と気だるい身体に鞭打って、ラージェを守らねばとベンチから立ち上がる。
「ごめんな? いきなり下ろしちゃって? ケガとかは無い?」
「ハイ。大丈夫です!」
カインは一瞬、ギョッとしてしまう。何故かラージェはその人物に心許しているのか、微笑で応対している。
カインは訝りつつも、突き立てた剣を杖にして懸命に一歩一歩近付いていく。
「ラージェ様?」
「あっ! カインさん。奇遇ですね」と、何時もと変わらない。天然宝石のような微笑を浮かべるラージェ。
「うん? うん? 剣なんて持っているよ、あの人? 大丈夫なの? 危ない人かもよ?」
「う〜んと・・・・・・・・・・・・そうですねぇ・・・・・・・・・・・・」
日本語のわからないラージェであるが、誠の表情は言葉以上に顕著である。
何より、コロコロ変わる表情が歳相応より下回り、年下のラージェですら可愛らしいと思ってしまう。
それに、剣と篭手を装備している人物をどう言っていいものかと、頭を悩ましていた。
「あの人は、フレンドです」ゆっくりと発音を丁寧に。
「フレンド? お友達なの? 本当に?」
誠の怪訝そうな表情。それもそうだ。何たって、剣と篭手を装備している人間が、一般人とはとうてい思えないだろう。しかし、ラージェは迷わず頷く。
「はい、ディアです。ソウルなディアです。」
でぃあか・・・・・・・・・確か、親愛とか親友とかの意味だったと、思い出しながらチラリとカインを見る誠。
(剣を持っている、篭手装着。それでいてホスト風味・・・・・・・・・でも・・・・・・・・・うん! 剣とか刀とか持っている人はちょっと変わっているだけで、本当はいい人に決まっている。霊児さんがいい例だもん!)
当たらずとも遠からず・・・・・・・・・そんな感想を持ってラージェに視線を戻す。
「そうか・・・・・・・・・ディアか。なら、信用するよ。剣とか刀を持っているだけで、常識人じゃないって偏見は良くないもんな?」
本人達が聞いたら、マジ切れしそうな評価だった。
霊児なら、「君が言うか!」で、あろう。カインなら、「レイジと一緒にするな」と、激怒するだろう。
だが、朗らかな微笑み。言葉が通じないだけに、その罪の無い笑顔を見ているだけで、誠の笑みに釣られてラージェも微笑み返す。
「サンクス。それと、おかげでカインさんにも会えました。本当にありがとうございます」
「うん。うん。こちらこそ」
日本語と英語のあやふやな会話――――だが、二人の会話は弾んでいた。カインは怪訝となって両者を見入っていた。
人見知りしないラージェであるが、あんなに無防備な微笑みを向けているのは自分と霊児、そして同じく〈聖堂七騎士〉の一人である巻士令雄以外であるため、驚きが勝っていた。
朦朧としてフラフラのカインは膝を付けて倒れそうになる所を、ラージェはすぐさま気付いて近付き、小さな身体で懸命に支えようとしたが逆に押し潰されそうになる。
当たり前だ。カインの身長は一九七センチと長身。それも、篭手一つだけで重さは八キロ強。その合計体重は一〇〇キロ近いのだ。
潰されそうなラージェを気遣い、誠は素早くカインの肩を支えやる。漆黒の腕は暴力を結晶したアート。だが、その支える腕の力は労わりがある。落差のありすぎる姿と気遣いに、誠をマジマジと見るカインだが朦朧とする視界は、役に立たない。
そんな誠はすぐさま視線をカインから外す。
さきほどの一撃すら生温いのか、うめきつつ迷彩を着込んだ五人が頭を振りながら立ち上がろうとしていた。
(どういう、鍛え方したらそんなにタフなのさ!)
心中で絶叫するが、頭の片隅では酷くシャープで冷静だった。
ここで闘うのは不味い。この人はきっとおれなんて目じゃないくらい強いけど、疲労しきっている。それに、女の子も危険だ!
何かに決意し、ギリっと歯軋りをしてカインの身体を支えながら座っていたベンチにまで素早く移動。カインがようやっと腰を降ろしたのを見計らって、背中にある四本の鎖が高速で疾走!
ジャングルジム、シーソー、滑り台、ブランコの四人を鎖で拘束し、残った砂浜で立ち上がる男。誠とほぼ、同格かそれ以上の実力を持つ男に駆け疾り、そいつの胸座を掴み上げて、背中から四枚の黒翼を広げて助走と共に飛び上がる。
四枚の翼を大きく羽ばたかせ、青空に黒点を作りながら去っていった。
小さな点すら見えなくなった誠にカインは、頭を振りながらも――――しかし、白と黒。何より、特徴的な鎖と首にあったスパイクのある首輪――――に、見覚えがあった。そう、来日する前に頭が抱えるほど、怒りを覚えた霊児のイラストに描かれた――――
「もしや・・・・・・・・・あれはパンダ君か?」
しかし、何よりまだ人型に近かった――――いや、あれはまだ完全な獣化現象ではないのか?
カインの中で、疑問が一気に霊児のイラストが信憑性を高めていく。
(それに、霊児がこちらを騙す理由など無い。奴は、〈嘘〉だけは言わない)
心中の呟きは、たっぷりと身の覚えがある霊児が聞いたら、さぞかし嫌な顔をするだろう。
「あっ! カインさんもですか? 私も薄々ですが、そうかもしれないと思っていましたよ!」
そう――――霊児さんが言った通り、彼は鬼門街に住まう正義の味方! 誰かのピンチのため、颯爽と駆け付ける! 何より、気遣って缶コーヒーをくれたほどいい人だ。さすが、正義の味方!
「きっと、これからパンダ君に変身するんです! だから、正体がばれないためと、私達に危険が無いようにあの人たちも連れ去ったのでしょう・・・・・・・・・こう、変身ポーズとかあって――――」
変身――――獣化現象。両手足がスタッズとスパイクで覆われ、昆虫のような銀色の甲殻を纏い、真紅の瞳に眼の周りと耳を漆黒に染め、膂力と俊敏性を一切犠牲にしていない細身のフォルム。
――――〈魔王〉の獣化現象者と一歩も譲らす闘うなら、理想的な肉弾戦と俊敏性を有した、このような姿であろうと想像してしまうカインは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
しかし、ラージェは違う。霊児が描いた、デフォルメを生かした絵柄どおりの愛嬌を持ちながら、あの名無しの兵士の渋味溢れる声音で、カッコ良く――――それでいてチャーミングを忘れず、大胆不敵に。
(「Show Time」とか「Time to rock・・・・・・」とか、言っちゃうんだろうな・・・・・・・・・あぁ〜カッコ良い)
と、ラージェの中ではもうパンダ君は愛嬌と擽るような可愛さだけに飽き足らず、その上、渋みまで妄想で加算された。クールで優しさも持ち合わせた人物として昇華されていく。
「恐ろしい・・・・・・・・・」
「ファンになりそう・・・・・・・」
二人の呟きは、まったく別次元。そんな異空間の隔たりすらある二人に向かって駆け寄ってくる黒スーツのディアーナが、ラージェに気付いて目を見開いた。
「えっ・・・・・・・・・? ラージェ様!」と、ビニール袋を持ったディアーナが一瞬驚いて、急いで駆け寄っていく。
「どうしてこんな所に!」
「案ずる事はありません・・・・・・・・・パンダさんのおかげで、私は無事です」
もう、君付けじゃなくなるラージェ。Sar――――とか付ける勢いだ。
「パンダさん・・・・・・・・・?」呟きながら、ディアーナは合点する。あの巳堂霊児が描いて送り付けた噂のパンダであろうと。
〈聖堂〉ではすでに噂が飛び交い、今では夢見るラージェのため、ハードワークの幼き女教皇の夢を壊さぬよう、さりげなく付き合うという暗黙の了解すらある。
「俺も助けられたかもしれん・・・・・・・・・」と、呟きに反応してディアーナは驚きの表情をカインに向けた。まさか!? あの堅物で、武骨一辺倒の代名詞たる局長が、女教皇のために演技をしているのか? なら、忠誠すると心に決めている人のため、一肌脱ごう!
たとえ、疲労がピークで幻覚とか見そうな顔色でも。
「そうなんですか?」
(あなたの言葉を信じます・・・・・・・・・・・できれば、信じたい)
感服と驚きの呟き・・・・・・・・・しかし、瞳は精神患者を労わる職業看護婦の如く、憐れみ悲しむような眼差しである。その瞳と身体から発する、「私は解っていますよ・・・・・・・・・大丈夫です」と、言葉と同様に内心が読めてしまうカインは首を振って否定する。
こんな時でも、微細な汗から発している〈匂い〉は嘘をつけない。
「いや、本当だ。この〈鬼門街〉には確かに、パンダがいる・・・・・・・・・いや、パンダのカラーリングといった方が正しいか・・・・・・・・・」
演技なら絶対、助演男優賞を総舐めしているほど、カインの表情は真剣かつ緊迫していた。
すごい――――ラージェ様の夢を壊さないためにそこまで・・・・・・・・・・と、勝手な思い違いをしてしまうディアーナは、テンションと集中力を高めて演技に力を入れる。
「そうですね・・・・・・・・・正義の味方か・・・・・・・・・・・・逢ってみたかったな・・・・・・・・・」
(局長は優しすぎます・・・・・・・・・そんなところに私・・・・・・・・・・・・)
「いや、だから・・・・・・・・・」
「局長は、少しお休みください。ラージェ様の護衛は、微力ながらこの私が・・・・・・・・・あなたの言葉通り、〈聖堂の象徴〉を守るために死力を尽くします!」
(下手な演技を許してください・・・・・・・・・)
呟きながら、ベンチから立ち上がろうとするカインの肩をそっと抑えるディアーナ。
「いや、だからぁ?」
「大丈夫・・・・・・・・・絶対に、何が起ころうとも、私があなたを・・・・・・・・・あなたの大切にしている〈モノ〉をお守りしますから・・・・・・・・・」
あぁ・・・・・・・・・駄目だ。コイツ、絶対勘違いしてやがる。そう、内心で断定したカインは愛剣を鞘に戻し、ビニール袋にあるペットボトルの無糖コーヒー二〇本の内、一本を鷲掴みにして自棄のようにガブ飲みし続けた。
冴えない頭と、朦朧とする意識をカフェインで撃退できるなら――――と、懸命に飲み続けてとうとう残り十本までカインの体内に消えていく。
ラージェもディアーナも流石にカインとは付き合いがあるだけ、彼の暴飲暴食は見慣れていた。
幽界と呼ばれし〈異なる世界〉に、カインの身体は半分だけ〈そちら側〉に属し、残りの半分は〈こちら側〉である。
両方のエネルギー摂取のため、どうしても常人などとは比べようの無い大食漢なのだ。水分補給も半端な理由が無い。
カフェイン摂取を機械的かつ――――寧ろ、ストレス発散のように行なうカインの横では、ディアーナとラージェは砂浜でお城を製作。
時間もあったためか、精緻な城を製作しようとしたせいか、土台ですら砂浜全てを埋め尽くそうとしていた。
二人は話し合い、結果的に水路に囲まれた城を作ろうと、ディアーナは転がっていたバケツを持って水飲み場まで行く。
丁度、滑り台の下を潜るのが一番近い距離。そこに、駿一郎すら浄化し切れていない、謎の水溜りを知らずに横切った瞬間だった。
幾何学模様の紋章が、禍々しい紅い光を醸し出す。
「エッ――――」
磁石に吸い寄せられるかのように、ディアーナの身体がいきなりその水溜りに、吸い込まれていく。
片足が水溜りに嵌り、底無し沼のようにズブズブと――――。
右足の感覚が徐々に消える。世界への断絶感に襲われ、ディアーナの顔が一気に蒼白していく。この吸い込まれるような感覚に身に覚えがあった――――〈階層〉、〈精霊界〉、〈幽界〉と呼び名が様々とある〈異界〉の空気だ――――! まずい、ラージェ様ならまだ〈異界〉に取り込まれる心配は無い。でも、自分や局長はその〈空気〉にとっぷりと漬かっている〈異端者〉。
否応にも〈異界〉の吸引力に、逃れられない自分達。
近くにいるだけで危険と判断したディアーナは、ベンチに座るカインに振り向き、叫んだ。
「局長! 離れてください!」
悲鳴なのか、相手を気遣う絶叫なのか自身ですら解らない。
ラージェも怪訝に振り返り、ディアーナに視線を移して緊迫した表情となる。
だが、最後のペットボトルを飲み干そうとしていたカインは瞬時に、ペットボトルを投げ捨て、迷う事無くディアーナに向かって疾走する! ディアーナの身体はもう、〈こちら側〉に残していた左手のみ。その左手をカインは素早く掴むが、カイン自身も異界の重力に引き摺られていく。
強靭な肉体、常軌を脱した膂力すら、〈異界〉にとって〈許容範囲〉。
ディアーナの手を握るものの、カインすらズルズルと底無し沼へとはまっていき、異界と現実の境界にある縁を、カインは砕かんばかりに鷲掴みにする。
「クソ・・・・・・・・・何処の誰かは知らんが、〈異界〉に直結させた〈結界〉だと!」
右手には現実との境界たる縁を。左手には引き摺られていくディアーナの手を掴んだまま、低く唸るカイン。あらん限りに力を振り絞り、ディアーナと自分を引き上げようともがく。
「局長! 離してください!」
ディアーナが悲痛な叫びを無視し、カインはその手を力強く握る。
「局長!」
「黙れ、ディアーナ」
無駄であろうと、見て見ぬ振りなどカインが出来るはずも無い。境界線の縁を握り潰さんばかりに力を込め続け、這い上がろうとするカインにラージェは急いで駆けより、すぐさまカインの袖を掴んで小さな身体で懸命に、カインを引き上げようともがく。
残念ながら、まったくプラスされていない膂力に、カインはラージェを見上げて言った。
「いえ、ラージェ様はいいのです。その手を離してください。あなたにも危険が――――」
「馬鹿を言わないでください、カインさん! 見捨てる事など出来ません!」
言葉を遮るラージェの、真剣な表情。
(いえ、ラージェ様の力では、まったくの役に立たないのです。せめて、這い上がるためのスペースを埋めずに、脇へと退いてください)
とは、口が裂けても言えないカインは胸中で呟くのが限界だった。
その間にも、ズルズルとカインの五指が滑っていく。ラージェの身体もズルズルと。
「早く離してください! 局長!」
「早く離してください! ラージェ様!」
「早く私の手を掴んでください! カインさん!」
カインは掴むにも、掴めない心境をラージェは解っていない。掴んだら、ラージェの軽い体重ごと異界に飲み込まれるのは必至である。
むしろ、腕にしがみついている形となっているだけに、カインには二重の負荷が掛かっているのだ。
つまり、役立たず、お荷物だとディアーナは見上げて冷静に胸中で呟いた。
そしてとうとう、縁から手が離れたカインと一緒に、ラージェも奈落へ落下。
奈落へ先に落ちながらも、二人は四肢を伸ばして空気抵抗を最大としバランスを取るが、ラージェにそんなことは出来ない。運動は丸っきり駄目なのだ。
頭から落ち続けているラージェを見下ろしながら、ディアーナは急いでカインと眼を合わせ、眼で通じ合うアイコンタクトにカインは頷く。
恐れすらも無く、二人は頭から奈落へ直下降。
抵抗を最少とし、すぐさまラージェに追い付いたディアーナはラージェの身体を手繰り寄せると、そのまま再びバランスを取る。
カインはさらに先行してから、獣化現象発動!
漆黒の鎧を纏い、堕天使の翼を広げ、ディアーナとラージェを両脇に抱えて今度は重力に反して飛翔を開始する。翼を羽ばたかせようとしたが、瞬間――――天地が真逆となり、上空を目指そうとしたカインの視界に映る、タールの床に驚愕する。
急転回で、空と思われた床に向けて両足で岩を木っ端微塵に陥没させながらも、着地を成功させる。
未だ薬が抜けきれていないカインは、荒い呼吸を繰り返して陥没した床に膝を付いた。
手と膝に触れるゴツゴツとした感触が――――夢ではないと実感させられる。思い、知らされる。
あたりは荒野。
荒涼と寂しげな風が舞い、日の光すら届かない暗雲に閉ざされた空。
慟哭のように稲光が、雲の中で閃くだけの世界をカインは戸惑いながらも見渡す。
「上を目指したはずが、何時の間にか降っていただと?」
考えられない現象だった。上空を目指したはずが、いきなり重力ごと反転し、地面と思っていた場所が上空に。上空と思って目指したはずが、いきなり床となっているのだ。
「落ち着いてください、カインさん。ここは術者が製作した〈異界〉です。術者のルールが引かれた世界・・・・・・・・・なら、術者の思い通り、私達の方向感覚など狂わせることは造作も無いです」
冷静にこの人、解説してるよ・・・・・・・・・殆ど、この人のせいなのに。
冷たい目でラージェの後頭部を見詰めるディアーナ。そんなディアーナの視線を盗み見てから、ラージェへ視線を戻すカイン。
お咎めなしだった。カインも同じ事を思っていたのか、苦々しい表情を懸命に押さえ込んで口を開く。
「では、その術者を探さねば、ここから出られませんね・・・・・・・・・・・・」
フラフラなカインを、心配そうにディアーナは言う。
「ですが、どれだけの範囲かも解らない〈異界〉ですよ? 探索するにも、体力を失ってしまいます。魔術の温存も考え、局長も今の内に休んだ方が――――」
「だから! 今休んだら、山から転げ落ちるように眠ってしまうと言っているだろうがぁ! 休憩も睡眠もここ出た後の方がいい」
ムキになっての早口返答にディアーナは驚くが、ラージェはカインの狼狽すらよそに、賛成して頷く。
「その判断は正しいかもしれません。何より、この〈異界〉は無差別に現実を浸食するタイプです。かなりの術者か・・・・・・・或いは・・・・・・・・・」
「悪魔行使者ということでしょう・・・・・・・・・あるいは、その両方かと」
ラージェのセリフを受け継ぎ、カインは淡々と呟く。だが、ディアーナは眉を寄せてカインを見窺う。
「そうでしょうか? これほど広範囲の〈異界〉を形成するなど、聖堂第六騎士のアンヌ・ブラヴァツキー様くらいですよ? 〈暴力世界〉ならナターシャ・ブラットリー。結界魔術の雄と噂されている〈連盟〉の棺製作。この三名以外、〈異界〉と直結するような結界魔術を行使できる魔術師など、そうそういませんよ? それにこの〈異界〉だって、ただの偶然かもしれません。霊脈が三六五もある規格外の霊地ですから、突発的なことくらい、起こるのでは?」
魔術世界の被免達人と達人達を並べるディアーナに、カインは何を言っている? と、言うような顔で見ていた。
「ディアーナ? お前こそ何を勘違いしている? ここは鬼門街だ。七つの〈門〉がある土地であり、その〈門〉を八〇〇年間管理して来た者達は人外、魔人、人間の限界を遥かに超えた頂きに住む者達だぞ? その〈狩人達〉が、門と霊脈の管理を疎かにするほど、愚昧とはとても想像し難い」
首を横に振って、チラリとカインはディアーナを見る。ディアーナの表情はまだ納得していない。が、カインは説明する時間がもう無くなったと悟る。
ディアーナの背後で岩が粘液質に溶け出し、奇怪な人型を形成しようとしていた。
「ですが――――そんな魔術師が本当にいるのですか? そもそも、〈鬼門街〉だからと言って、それほどの魔術師がそう、ゴロゴロいる訳が――――」
ディアーナは渋りながらも反論していた瞬間だった。カインの右手が高速で閃き、ディアーナの横顔を通過。
拳圧だけで突風が襲い掛かる。その背中越しに盛大な打撃音が響き、ディアーナは反射的に振り向いた。
「なっ!」
驚愕以前に、呆然となった。
薄暗闇に閉ざされた荒野の殆どを埋め尽くす、異形の軍。
眼と身体中に刃物を生やす奇怪な女の化け物。
上下が下半身の醜悪な仮面の異形。
全身を拘束具で雁字搦めにし、唯一自由な口腔を頬まで裂いて牙を見せる妖女。
そして、巨躯と大木のような両手足を持つ巨人。
それら、異形の者共は地平線までびっしりと埋め尽くされていた。
「あっ、あっ、あっ・・・・・・・・・・・・」
ディアーナは愕然として後退りする。今まで異形の悪魔と対峙した事は、何度もあった。だが、その数は多くても一〇は超えない。しかし、目の前に覆い尽くさんばかりの数はかつて、一度も無い。
「ほぉー? 凄まじい数の使い魔だな? しかし〈異界内〉とはいえ、これほどの数を使いこなせる者か・・・・・・・・・アンヌを首にして勧誘したいものだ」
繁々と異形の大軍に驚く素振りも無く、眠たそうな顔で感嘆を呟く。そして、ラージェの方に顔を向けた。
ラージェも言わんとした事が解ったのか、力強く頷く。
凛とした真剣な表情。胸を張り、大軍へ真っ向から。真正面で金眼を毅然に輝かせて向ける。
「そうですね。カインさんより、この場は私が適任です。任せてください」
胸を張って一歩近付く。臆する事も無く。
「ラッ? ラージェ様!」
止めようとしたディアーナだったが、その肩にカインは掴んだ。半ば無理矢理、ディアーナをカインの後ろまで下がらせる。
「ラージェ様の邪魔になる。黙っていろ」
「ですが! いくら何でも――――!」
ラージェ様は全く、これっぽちも、運動とか苦手なんですよ? 走れば転ぶドジッ子ですよ? これでもかって位のお約束なドジッ子ですよ?
小さく呟くディアーナだが、カインには丸聞こえ。手酷い評価であったが、正しい見解のため頬を痙攣しながらも、
「黙ってみていろ。魔術に関してラージェ様に匹敵出来る者など、同じ被免達人以外在り得ぬ」
「へぇ?」
その瞬間だった。目を離した、瞬きをした間にディアーナの足元から燐光が迸る。青い聖火が円を描き、カインとディアーナを包むように疾走。
取り囲もうとした異形たちが、その炎に触れた瞬間、一瞬の内に青い炎に晒されて灰となる。
円の内側に入っていた異形たちも同じだ。
瞬く間に、形を成していたことすら幻のように灰と化す。
その円は、前後左右から凄まじいスピードで幾何学模様が描かれていき、三人をすっぽりと囲むドーム状が出来上がる。
そして、ラージェの前には〈セフィロトの木〉。一〇の球体が浮遊し、ラージェの瞳と同じく、黄金色に眩しく輝いていた。
眩しいばかりの聖性。魔性全てを昇華させてしまう強力な結界。ディアーナの足元にはその結果のシンボルとも言える、短剣の紋様。
ディアーナは呆然とした顔で見渡す。
瞬時、〈霊視〉に切り替えたその瞳で見渡す。
(Chesed・・・・・・・・・ケセド。守護天使ザドキエル。神聖な愛を意味し、記憶の天使。そのザドキエルを加護とし・・・・・・・・・否! ラージェ様は〈天界の第五〉事、召喚している! 術者の〈異界〉を自分の結界で塗り替えている・・・・・・・・・! この場所に――――)
「ディアーナ」
半ばトランス状態になっていたディアーナの肩を揺するカイン。
「〈霊視〉は止せ。元々眷族だったお前に、ラージェ様が塗り替えた陣の中では、〈霊視〉でも命に関わる」
諌めるカインに呼吸を整えながら頷き、カインを見上げて眼を向くほど驚愕する。
漆黒の甲冑がカインを包み、処女雪のような髪は帯電の如く逆立っていた。そして、なにより唇から覗く、鋭い牙と肩に手を置くその両手は禍々しい鉤爪。
驚くディアーナにカインはその手を素早く離して、背中を向ける。ラージェへ視線を戻しながら。
「私は半身が魔に属している。そのためラージェ様の結界では、聖性を施した人の血と、魔生の血が鬩ぎあい、このような醜悪な姿になってしまう。お前ほど、注意せねば命に関わることではないから、安心しろ。あと、驚かせてすまない」
首だけ向け、労わるような微笑を見せるカイン。
「・・・・・・・・・」
傷付けたかもしれない。早く謝らなくてはと、口を開こうとしたが中々言葉が出てこなかった。
自分と似たような境遇――――だからといって、同じではない事を思い知らされて。
ラージェは異界を塗り替えるという、離れ技をしながらも振り向いて二人に声を掛けた。
「このまま前進しますから、結界内から出ないようにお願いします」
「はっ」
カインはラージェの命令に従って歩みを開始する。半人半魔の身であろうと、その歩みに迷いなど無い。悲しいほど、垂直に立つ剣を思わせる。
ディアーナもその背中を見詰めながら、トコトコと付いていく。
異形という異形がラージェの前を退いていき、真っ直ぐに道を開いていく。
まるでモーゼの如しだ。海を割り、民草を新天地へと導いたモーゼもラージェと似たような魔術を使ったのだろうか?
半径一〇メートルに及ぶその陣内に、どんな異形も避けていく。巨大な鬼であろうと例外ではない。
触れれば、昇華されていくその結界は不可侵にて禁域。
ヴァチカンすら触れることすらタブーとされる〈聖堂〉の、正しく象徴的でもあった。
「ここは・・・・・・・・・多分、術者のいる最下層領域でしょう」歩きながら、異形も眼もくれず進むラージェが呟いた。「私の〈結界〉ですら浄化し切れません。考えられるのは、この荒野の中心に術者が魔術を行使し続けているかもしれませんね」
「そのようです。歩きながらですが、何度か私も地面を叩き壊そうとしましたが、小石一つ砕けない。術者が作り上げた精神物が強固になっているなら、ラージェ様の読み通りでしょう」
短時間内で冷静に分析し、異界の現状把握までしてしまう。時間を無駄にしない。驚愕も、パニックも強靭な精神で蹴散らしている。
二人の冷静な会話に、ディアーナはガラスのように自信が壊れていく。
彼女自身、己の実力事態は自信があった方だった。
物質透過魔術はほぼ〈無敵〉に属している。
何より、〈ソロモン王七二柱〉の一つである〈西方の王ガープ〉にディアーナの本意ではなかったが、眷族として選ばれている実績がある。
しかし、カインの命令を背いてまで赴いたこの土地、〈鬼門街〉は彼女の想像を遥かに越えていた。
カインを押さえ込んだあの迷彩柄の軍隊なら、まだ許容範囲。自分の魔術なら、傷一つ付けることなど不可能だ。
そう不可能――――相手にも触れる事もないからこそ、出来る魔術。だが、この異界はどうだ? 自分と同じく、〈触れる事〉無く、そして己の領域に〈誘い込んだ〉術者は?
この〈異界〉をすり抜ける事など、ディアーナには出来ない。所詮、〈物質〉のみを透過できるだけ。この〈精神〉で作られた領域を脱するなど、出来るはずがない。
だが、聖堂の頂点にいる〈女教皇〉、魔術世界の歴史で最年少の〈被免達人〉たるラージェは違う。己の聖性を広げ、結界を施して、モーゼの如く異形を割って突き進む。
片や聖堂二千年の歴史内で、今代含めてたった二振りしか任命されない〈魔剣〉と〈聖騎士〉の称号を持ち、〈堕天使の血族〉であるカインは、このような現実に切り離されたこの領域でこそ、本領を発揮する。
生まれも、努力も、才能も、全てが己を超えている両者。その背中を見ながら、ディアーナはなんて矮小な存在なのかと胸中で、陰鬱な呟きを零し続けた。
四月一八日。午後五時三二分。国道線。
巳堂霊児は、コンビニに向かって爆走していた。
何故か、煽ってくるスポーツカー。えげつない改造を施されたスカイライン。それらが後方でしつこく付き纏う。しかし、霊児は反射神経。そして、指先一本に至るまでレンタカーと同調し、身体の一部の如くカーブを絶妙なアクセルターンで曲がり切るたび、後続車は急スピードのカーブに耐え切れずクラッシュを続出していく。
「はぁ〜。あんな無茶な運転すれば、コースアウトするなんて解り切っているだろうに・・・・・・」
大事故の権化はやれやれと、バックミラー越しで宙を舞う高級車に嘆息しつつ国道を走り続ける。そんな霊児の耳に、相棒たるマジョ子の連絡が響いた。
『こちら、ウィッチ!』
幾分、緊迫した声音だった。
「どうした? 何かあったのか?」
相方の緊迫感に気を引き締めながら、S字コーナーをドリフトで滑らせながら一気に直線に入る霊児。
『・・・・・・・・・太陽を発見しました』
良かった。これであの、無軌道非常識核弾頭だけの行動は知ることが出来る。
と、霊児は胸を撫で下ろした次の瞬間、
『しかし、監視体制を整えたCチームは全員戦闘不能』
霊児の顔は情けないほど、絶望的な表情だった。
マジョ子の説明ではこうだった。
太陽の牽制、及び監視をしていたCチームは黄紋町神宮院コーポレーションビル屋上にて発見。直ちに警戒態勢と接触を極力避けるため、ビルから不城町の駐車場で、監視体制を整えた一〇名は素早く双眼鏡から覗き込む。その瞬間だった。
佇んでいた太陽を、見失ったのは・・・・・・・・・
いない・・・・・・・・・! だとぉ!
一〇名全員が一斉に双眼鏡を覗き込み、屋上の隅から隅まで探す。だが、あの紅い髪を靡かせた女は何処にもいなかった。真紅のフィアットすら!
「周囲を徹底的に探せ! 魔力探知機の確認も忘れるな!」
先の失敗で現場監督として汚名を晴らすべく、怒号を上げるガートス私兵部隊の副長。三〇半ばを超え、人外魔境が入り乱れる戦場すら生き残った古強者の背から、
「焦るなよ? 私はここだぜ?」
ハスキーな声音だった――――燃えるような・・・・・・・・・否、炎と形容しなければならない声音だった。
女性的――――淑女? そんな領域では言い難い。骨髄に至るまで、この後ろに立っている女は、〈炎〉で形成されていると直感してしまう。
背中が凍るような思いは何度もした。
死線をギリギリ潜るスリルに酔った事さえ、彼等にはある。死神の腕による抱擁も、何度も足蹴にしてやった自信と誇りも。しかし、背に掛かる声音は違う!
圧倒的で絶対な存在感を隠そうともしない。否、太陽は昇るためにある。何故、矮小な人間の機嫌を考えて、隠れねばならない?
そう――――人型の太陽。
指揮官が皮肉と遊び心でネーミングした、〈太陽〉。
その太陽が、コソコソする理由など微塵もないのだ。
十名が一斉に双眼鏡を手放し、距離を取るため肉体強化!
弾かれたように瞬時として、屋上駐車場を散開し、距離十メートルまで離れて拳銃を引き抜いて構える。
遅れて双眼鏡のレンズが床で砕ける音が、あまりにも滑稽過ぎた。
四方八方。十人が構える四五口径。魔術付加も施された銃口を前にして、七大退魔家序列一位の現当主、真神京香は不遜も不敵でもなく、優雅すらある落ち着きで左右を見渡した。
愛車フィアットに背を預けて、憎たらしいほど落ち着きを払っていた。
「最初は、付き合い程度でお前等の遊びに付き合ったが・・・・・・・・・」
最初――――真神家の監視中にカーテンを閉め、マネキンを置くだけのカモフラージュを遊びという太陽。傲慢過ぎるその言語。
しかし、口元にあった不敵な笑みが次の瞬間、止まっていた。
「私の周りで、あまりウロチョロするなら絞めるぞ、小僧共? 火傷で終わりたきゃ、とっとと失せろ。 Are you O.K?」
言葉一つ一つに凄まじい列気を放つ。あながち、太陽というネーミングは伊達ではないらしいと、畏縮する身体に無理矢理不敵な笑みで押さえ込む、Cチームの現場監督はこの存在自体が埒外の女を前にして、目を逸らさずに言った。
「答えはNOだ――――ガキの使いじゃない」
そうか――――と、嘆息しながら紅蓮の髪を手で払い、真神京香は静かに表情を消した。
二〇年前、〈黒白の魔王〉を倒した〈神殺し〉に相応しい、毅然にして凛々しく、燃え盛る炎のように熱い眼光で、射抜くように現場監督へ向ける。
だが、それに続く言葉は戦闘開始の合図にしては緊張感も、緊迫感も無い。
「なら――――少し、痛め付けるだけだ。まぁ〜安心しろよ? 命まで取らねぇ。約束したからな・・・・・・・・・〈弱い奴は守れ、それが強い奴の生き方〉ってさぁ・・・・・・・・・あの人は怒るとさぁ〜ほら? う〜んと、あれだ・・・・・・・・・〈怖い〉から―――な?」
クスリと、誰かを思い出すような微笑みだった。考えられない――――考え難いが、その微笑みは、恋する少女のようにほんのりと頬を紅くしていた。
恋愛している自負というのか、誇りというのだろうか?
一〇人全員――――女性三名。男性七名が、呆けたように魅入ってしまう。魅入る以外、何が出来るというのだろう? 〈連盟〉にすら轟かす真神京香の名。神を調伏し、己が意に背くなら、神も悪魔も狩り殺す真神家は、〈魔人の中の魔人〉。そして、真神京香は〈女王の中の女王〉だ。
魔術世界から一線を退いたとはいえ、その実力は未だ〈最強〉と謳われている女王の思い出したかのような微笑みは――――まるで、恋する一〇代のように瑞々しく、真夏の陽光を浴びて咲く、向日葵のようだった。
花のような微笑とはこのことか? と、思えるほどだ。
戦慄すらする美を体現している〈女王〉を、〈可愛い〉と十人全てが胸中で呟く魅力だった。
侮辱以外、何物でもない物言いでもある。だが、最後の微笑は全てを洗い流すほどの美しさすらあった。
〈美しい〉というのは、正しく〈力〉だ。全てが許される〈力〉だった。
真神京香はそれを王道で実践している女だった。
「私と敵対するなら胸を貸してやるぜ? 〈現界〉で〈最強〉の私と闘えるんだ。しかも、命まで取らないって決めている私だ。遠慮せず、全力で掛かって来い! 纏めて! 死に物狂いで! 死ぬ気でだ! 必死に闘って死ぬ気で来やがれぇ! それでも〈命〉は助かるぜ? 滅多にないチャンスを逃すのかぁ? あぁん? 〈最強〉が目の前にぶら下がってんだ! 逃すな! 怯むな! 脅えるな! 威風堂々と不遜に、不敵なまでに私の〈敵〉になってみせろ!」
好戦的に手招きをする。誘っていた。多勢に無勢であるはずの一人の女が。
ギラギラと燃え盛る太陽が手招きしている。
堂々と、隠れも逃れもしないと。ここまで、ここにきて、逃げるようならガートス私兵部隊に最初から入らない。
華々しいまでに戦場を駆ける! その思いだけでガートスの門を潜った戦士達。
それ以外考えられ無い十名は迷う事無く、一斉にナイフと銃を構えて突貫した!
口元に恐怖と、至福を綯い交ぜにした笑みを作って。
「ハァン!」
イカしているぜ!
快活なまで吐き捨てた太陽と抗戦したCチーム。ものの五分とも掛からない戦闘。だが、一〇人全員が、全員。気絶しながらも至福の笑みで失神したらしい。
「あの〜ウィッチ? 確か、CチームはA級装備だったよね?」
『そうですが?』
「何で勝てる? あの人?」
話の内容からすれば、素手だった。素手で、銃の弾丸とオリファルコン合金や、ミスリル合金の装備した魔術師専門の兵士を相手取る? 何だそれ? 何だその異常さ?
『・・・・・・・・・被免達人の中で頂点。その真神京香個人の実力は、予想外でした・・・・・・・・・』
「まぁ〜あの人って、伝説だからな・・・・・・・・・しかも、伝説より先を行く・・・・・・…」
噂のオヒレすらが、既に意味をなさない。寧ろ、オヒレがつく理由は、真神京香が実行した全てが、〈あり得なさ過ぎる〉からだ。だから、聞き手語り手にも解り易いオヒレがつく。
霊児が知るだけでも、五本の指では足りない逸話があるが、その全てが脚色されたものである。
それも、聞き手が〈すごい〉と唸る程度にレベルを下げた逸話だ。
本人から聞いた話は、〈在り得ない〉としかいえない実話だから仕方がない。
『しかも、むかつく事に、Cチーム全員の命には別状はありません。本当に、ただ気を失っているだけ・・・・・・・・・舐めやがって!』
「ウィッチ? 落ち着けよ? オレ等としては、まだ良い方だろ? 部隊は無事だろ?」
ヒートアップする相方に、さり気なくガス抜きを行なう霊児。
「なら、オレ等は負けちゃいない。相手はまだ舐めていると思うんだろ? だったら、お前はいくらでも作戦を練れるだろが?」
まぁ、他力本願かもしれないけど。そう、付け足しながら霊児は顔の見えないマジョ子を思い浮かべて、信頼と万感を込めて言う。
「お前なら、〈女王〉を指せるさ。オレ、お前の作戦に賭けてるし。それともオレじゃ、迷惑か? 足手まといかな?」
最後の語尾だけ、自信の無さそうな声音だった。
だって、自分のヘマで女教皇と離れちゃっているし。
『・・・・・・・・・・・・・・・』
「おーい? マジョ子さん?」
巳堂霊児。聖堂二千年の歴史でたった二振りしか、存在しなかった〈聖剣〉。〈聖堂の至宝〉とも言われる、〈至高の頂点〉に居るはずの男が魔女を信じると言っている。
(まったく、あなたという人は。自分の立場を解っていますか? 聖堂第三位、聖堂七騎士第二位の〈聖剣〉っすよ? 普通、〈連盟〉の私に対して、私の作戦に賭けるとか言っちゃう時点で、かなり問題オオアリっすよ?)
『それは・・・・・・・・・私を信頼していると、受け取って構わないでしょうか?』
何故かオズオズと確認する口調のマジョ子に、霊児はトップギアを入れながら怪訝に言う。
「はぁ? 今更だぞ?」
(今更っすか・・・・・・・・・つまり、ずっと前から信頼しっぱなしっすか・・・・・・・・・)
第二車両内で、素早くマジョ子の異変に気付いたジュディーは、嘆息しながらティッシュペーパーを差し出した。
それを手振りで礼を言い、無言で丸めて両方の鼻穴に突っ込んだ。
ドクドクと流れ出る鼻血の洪水を塞き止めながら、マジョ子は不敵な笑みで言う。
『だいびょうぶでふ! れいびざんがみがたなら、おびにかなぼうでふ!』
最大限の敬意だが、ティッシュペーパーを鼻に突っ込んだ声音は不明瞭だった。
「うん? うん・・・・・・・・・まぁ、ありがとうな?」
類稀なる勘が、ここで功を制する霊児。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・でぇ? オレはどう動く?」
充分一拍の間を置いて、霊児は言う。勘が、一拍の間を置かなければならないと駄目だと囁いた結果だった。
その間、マジョ子も鼻に突っ込んだティッシュを捨てて、いつも通りの冷静な口調に戻る。
『ソードにはこれから“アンノウ”の場所まで行ってください』
アンノウ? と、訊き返す霊児にマジョ子は頷きながら言う。
『女教皇を連れ去った者です。所属は不明ですが、Aチームが不城町児童公園から連絡は途絶えました。Aチームは私の直属ですから、そう簡単には殺られてはいないでしょうが、アンノウは間違いなく、女教皇を狙っていると思います』
言われ、霊児の背筋に言いようの無い悪寒を感じてしまう。
〈魔剣〉と〈聖剣〉が居ても狙うような輩だぁ?
そんな組織は未だ〈聖堂〉と冷戦中の、〈クラブ〉と真っ向から対立している〈貴族嗜好〉位だ。それなら、身に覚えが山ほどある。
あいつ等は生粋の〈吸血鬼〉。貴族がキツネの狩猟を楽しむように、〈人間狩り〉を未だに行なっている。戦闘による血こそ求めるものの、敵対した者へは敬意を表す〈クラブ〉とは違い、問答無用に搾取し続け、人間を家畜としている輩。
その〈創立者〉でもある真祖吸血鬼を〈狩った〉オレだからこそ、屈辱と復讐を纏めて返すには相応しいラージェちゃん拉致と考えても間違いは無い。
あとは〈聖堂〉が保管、保存の厳重管理している〈貪欲の魔王マモン〉奪還を狙い続ける退魔家序列七位、〈鬼殺し〉の神宮院か・・・・・・・・・・・・あの〈最狂〉にして、〈女王〉と並ぶ〈帝王〉のあだ名を持つ、神宮院斑もカインと何度か殺り合っている。〈千刀流の剣狂い〉・・・・・・・・・退魔家の序列を覆すことのみに、心血注ぐ奴ならラージェちゃんを人質にして、〈魔王の魂〉との交換しようと企むだろうな・・・・・・・・・。
内心で、様々な不安が次から次へと湧き上がる霊児に、マジョ子は素早く察して先を促していく。
『今は危険分子を減らす事だけを、考えましょう。〈アンノウ〉と〈太陽〉をぶつけて、〈太陽〉の動きを止める事も考えていますが・・・・・・・・・今は〈アンノウ〉から女教皇の居場所を吐かせることを優先したい』
「解った。オレも加勢すればいいんだな? その〈アンノウ〉って奴は何処にいる?」
霊児自身、〈アンノウ〉だろうと誰であろうと、女教皇を狙う時点で万死に値する。カインは本当に〈万死〉するだろうが、霊児はその〈アンノウ〉の所属を吐かせ、ラージェの危険を少なくしたいのは、本心だった。
その〈所属〉を吐かせた瞬間には〈所属〉事、斬り捨てるつもりだが。
彼自身、幾多の修羅場に身を置いてきたが、女教皇ラージェという少女はただの〈女の子〉としか、眼に映っていない。
肉親を奪われてからか、年下の男女に何故か脅迫的な庇護欲が急き立てる。しかし、何故か美殊を苦手としているのも事実だが。
被免達人の少女を〈小さな女の子〉と見ている時点で、これが甘さというなら甘さすら己と、霊児は受け入れる。受け入れるからには、全力を尽くす。
守ると決めたモノには、損得など皆無。たとえ己が命も。それが、巳堂霊児の心根である。それは、マジョ子に対しても例外ではない。マジョ子の作戦を成功させ、この鬼門街で惨事を起こさないためにも、全力を尽くすのは霊児にとって自然すぎる流れである。
『現在、神宮院コーポレーションビルに向かっています。ですが、手ぶらなのでは?』
マジョ子は霊児が全く、武器らしいモノを持っていないことを知っていた。だが、霊児は安心させるように言う。
「ウィッチ? オレの五体、オレの魂までが〈剣〉だ」
言いながら、車をコーポレーションビルへ向ける。くっきりとゴムの跡を残して、凄まじいロケットスタートを切る。
「森羅万象すら、オレには〈斬れる〉」
過信でも事実でもなく、ただ同然の如く言う霊児。
(あぁ〜カッチョ良い・・・・・・・・・・・・)
その確信的なセリフに、惚れ惚れとしてしまうマジョ子は再びティッシュペーパーを鼻に突っ込んだ。
同時刻。神宮院コーポレーションビルの屋上から、上空一〇〇メートル。
ここなら、さすがに無茶は出来ないだろう。何たって、空中。それもビル群の中でも、一際聳えるビルの屋上から、さらに一〇〇メートルの高さ。
ここで、暴れるなんて自殺行為は――――してたよ・・・・・・・・・それも、おれの鎖にナイフを突き立てまくって、逃れようと足掻いている。
鎖の反動が、繋がっている背中にダイレクトで伝わってきました。
「ちょっと! 危ないよ? ねぇ? そんなに揺らすと落ちちゃうって!」
「束縛して空中浮揚を強制している人間が、言うセリフじゃないと思うが?」
突っ込まれて口を閉ざしてしまう。確かに、おれのセリフじゃない。
だが、そんな些細な隙に束縛していた鎖を切断してしまう。そして、五人全員が一斉に鎖を掴む!
「まぁ、その余裕が何処まで続くか見ものだが?」
ニヤリと嘯きながら、五人一斉に空中のおれを引っ張った! 錐揉み回転も加え、翼の浮力を完全に殺し切る!
グゥン――――!
全員の体重と、重力がおれを下へと誘う!
五人の迷彩柄は、屋上の床を陥没しながら着地。そのまま、掴んでいる鎖を力の限り引っ張っている!
「まじぃっすかぁ!」
ありえねぇ! この人たち、殺る気満々じゃんか!
自分の声とは思えない悲鳴が迸る。
一気に視界が針のように細くなり、床のシミまで見えて来て――――顔面からコンクリートに叩き付けられた。
バチン! と、蝿叩きのような音響が鼓膜に届き、鼻と額が熱い。胸と腹は痺れている。
「ガッ・・・・・・・・・ハ・・・・・・・・・」
口に血の塩気が広がる。鼻腔に鉄が錆びたような匂い。顔面の皮膚という皮膚が、焼き鏝を当てられたように熱い。視界が暗い。真っ暗だ。
「もう一丁いくぞ?」
何のことだと思うより早く、身体が再び浮遊感。
視界はすぐに暗闇から開放されるが、グニャグニャの世界にかなり小さな迷彩柄の五名。
怪訝に思い、屋上に穿たれた人型マークで合点した。
(あぁー、おれが叩き付けられた場所だ)
五人の迷彩柄も宙へと飛翔し、巧みに鎖を操る。空中に投げ出されたおれの身体に、雁字搦めに鎖を巻き付ける。
今度はおれが簀巻きにされる番だった。それも、このまま頭から落とそうってぇの?
「それはいくら何でもぉぉぉぉぉーお!」
しかし、五人分の体重もオマケときたか! やり過ぎだぁ! 訴えてやる!
だが、言葉は多すぎて、人型に凹んだ床に突っ込んだおれの視界は一気に真っ暗となる。意識どころか、息すら出来ない・・・・・・・・・・・・頭に鉛が仕込まれたように、思考が定まらない。
それどころか、身体が動かない。
おれは――――どうなっているんだ?
ビルの駐車場。
面倒な尾行者達に安眠を。自分は久しぶりの『軽い』運動を。
中々楽しめたと、満足そうな表情で数台の車を乗せているトラックの隣に止めていた、愛車の運転座席に座ろうとした時だった。
「うん?」
と、怪訝に紅い髪の女――――真神京香は、聞き覚えのある声を聞き、愛車から一端離れてから声のする、神宮院ビルへと顔を向ける。
そこには、高速に落下する物体。そして、尾を引く悲鳴。
「ありゃ〜? 誠か?」
情けない悲鳴に眉間を抑えながら、ウンザリとした溜息を付いて、
「誠だな・・・・・・・・・はぁ〜。それにしても情けない。女の腐った悲鳴をあげやがって・・・・・・・・・本当、駄目な子供ほど可愛いって誰が言ったんだ? メチャクチャ的を射るじゃねぇかよ」
ゲンナリしながら、隣に停めてあるトラックを片手で引き摺り始めた。
サイドブレーキなどお構い無し。六台乗っているフォードアの自動車の重さすらも。
細く白魚のような指はバンバーを握力で変形させ、神宮院ビルに向けて設置。
その後は荷台の車。それは蹴りで落っことした。他の駐車していたジャガーやロータスのトップに、ゴミでも落とすように蹴落していく。
それも、スピード狂、車好き、金持ちそうな車を選んで落としていく。
彼女自身もスピード狂、車好きではあるが、ブランド物に心血注ぎ、ただ速い車を転がしてスピード狂気取りの者を車好きとは認めない。旧型の車を丁寧に乗る者、あまり見向きもしない車を過剰なカスタムする者が本当の車好きだと、真神京香は思っているのでまったく心を痛めずに高級車をスクラップにしていく。
ちゃっかり、自分のフィアットだけは飛び散った破片すら当たらないように考慮して。
たった数分も掛からない内に、トラックは簡易的なジャンプ台として出来上がった。
向きは、神宮院ビル。
「まぁ、走った方が早いんだけど・・・・・・・・・地味だからな。やっぱ〈華〉が無いと」
ニヤニヤと笑いながら、フィアットに乗り込み、ほくそ笑みながらハンドルを握り締める。だが、ふと――――脳裏で駄目だろう? そんなことしたら仁は怒るぞ? と、理性が囁く。しかし、息子の安否と確保は最重要である。
息子の将来は、どんな犠牲を払ってでも守らなければならないと、過激な母性本能は声高に言う。熟考の内にも入らない一秒後、本能も理性もガッシリと握手をして結論を出した。
「まぁ・・・・・・・・・これはしょうがないよな? 仁だって怒らないよ。うん、うん。ぶっちゃけ、これは息子の悲鳴を聴き、駆け付けなきゃいけない場面だ」
一人で納得しながら、ジャンプ台から緩やかにバックを開始する。
「うんじゃ・・・・・・・・・今すぐ、お母様が助けてやるぜ? えぇ〜? 愛しいバカ息子ぉ?」
言葉とは裏腹に、その笑みはスリルの快感に酔っていた。久方ぶりの『スタント』に心躍らせて、アクセルをベタ踏み!
巧みなギアコントロールで座席シートに身体が押され、一気に最高速度へ到達!
タコメーターは全開、ターボにも火が付き、フィアットという皮を被ったカスタマイズカーは宙に舞った。
「よし――――こうして置けば、さすがに身動きは取れまい」と、Aチームの副隊長が部下を見渡しながら言うと、部下達は噴出しながら肩を竦めていた。
「しっかし、副隊長? こりゃ、かなりギャグっすよ?」
親指で誠を指す部下。顎下まで達している刺青の男は、もう一度チラリと誠を見るともう押さえが利かないのか、腹を抱えて息苦しそうに身を捩り、顎下の刺青にも皺が寄る。
誠は今、鎖で簀巻きになっている。それも顔面は人型に凹んだ床に突き刺さったままで、だ。芋虫のようにくねくねと動かす腰と足は、完全に笑いのツボを刺激していた。
「一人犬神家ごっこって、とこかしら?」
ルージュを塗った妖艶な女部下が言う。横隔膜の痙攣が酷く、涙目である。
「活字中毒だな? お前? 小説の読み過ぎだって。オレなら〈聖剣、ここに眠る〉ってタイトルを横に置いておくぜ? 金田一少年より、そっちのほうが通ってもんだろ?」
チンピラの垢が未だ抜けきれていない、軽薄そうな男はゲラゲラ笑いながら突き刺さる誠を指差して言った。
「お前達は日本に慣れすぎだ。あと、お前は漫画の読みすぎだ。小学生か?」
鉄面皮で無愛想な感想を零す、美形だが色気も化粧気も無い女。
人のことが言えないマニア嗜好のギャグ漫画好きの女が・・・・・・・・・と、軽薄そうな男の呟きに耳を貸さず、眼だけはチラリチラリと誠の突き刺さる姿を見ては、笑いを堪えるという悪循環を繰り返している。
そんな部下達を見ながら、副隊長の白人男性は肩を竦める。彼だけ、仕事はクールに的確性を求める人種だった。面白みに欠け、骨の髄まで兵隊であった。
「とっとコイツを運ぶぞ? アシを調達しに行け」
軽薄の男に顎で行けと命令する副長に、何でオレを見て言うかな・・・・・・・・・と、ボソボソと愚痴を零していた瞬間だった。
けたたましいエンジン音が五人の頭上に響いていた。
一斉に見上げると、そこにシュールな光景があった。
射光した日差しを浴びる車。
それも宙に存在している。
何故?
そんな思考全てを脇に退かし、五人は一斉に跳躍!
空中でその車と全員が、交差する。
真紅のカラーリングしたフィアットから、逃れた五名とフィアットの着地は同時。耳障りなワンバウンドの大音響。しかし、ハンドルのコントロールは些かも狂い無く、タイヤをすり減らしながらターンを決め、車体を真っ直ぐ五人へと向く。
迷彩柄と紅きフィアットの中心には、頭から突き刺さってナメクジのようにもがき始める誠。
運転席から、長い足が出てきた。ベージュのスーツパンツに隠されようと、均整の曲線美。同性を殺気立たせるに、充分なスタイル。そして、類稀な美貌を飾る真紅のロングヘアーの女が、迷彩柄と芋虫のようにくねくねする簀巻きとなっている我が子を見て、豪快な笑みを零す。
「おぉ? コイツはあれか? かの有名な、引き抜くと王様になれるって言う、伝説の聖剣エクスカリバーか?」
茶目っ気たっぷりに京香は、迷彩柄五名に声を掛けた。しかし、Aチーム全員は返答など出来る筈が無い。
もう、雰囲気に呑まれてしまっていた。
ここまで派手に登場するとは、思ってもいなかったからだ。
被免達人、神殺し、白銀の獅子と数々の異名を持ち、伝説という金十塔の殆どがこの女を中心で築かれている。
まさしく伝説。そして、最強。
「でも、残念な事に私にはいらないな――――何故だと思う? こんなレア・アイテムなのに?」
畏縮するが骨の髄まで刷り込まれ、自動機械の如く各々の武器を抜き、戦闘態勢に入った五名に真神京香はシニカルな笑みで言う。
「私はもう〈女王〉だからさ?」
烈気――――否、剛炎だ。猛々しく、轟々と燃え盛る魔力が、京香の全身を緋色に輝かせていく!
「全員、ここが墓場だと思え!」
副隊長の怒号に、一気に肉迫する五名! たった一〇メートル間に対しての肉体強化魔術の最高レベル。五名全員が京香の周りに殺到し、必殺の制空権に到達した。
「手加減するってぇの」
訂正するのも面倒なのか、ゲンナリとした感のある声音だった。
その瞬間――――京香の片手が高速で振るう。アッパーカットだろうが、幾分距離が離れすぎていると、誰もが思っていた。しかし――――バチィンと、小気味いと思えるほどの激音が響いた。
中央に位置していた一人――――轟音と共に、刺青の男は何が起こったかも解らない呆然とした表情で、芋虫のようにくねくねと動き続け、突き刺さる誠の上を高速で回転しながら吹っ飛び、ビルの柵を木っ端に砕いて消えた・・・・・・・・・。
唖然と、何が起こったかも解らない四名。しかし、無情にも京香は腕を横に振るう。今度は警戒して三名が地面に着地するなり、大きく後方へ飛び退くが、ルージュを塗った妖艶な女は、腕を掻い潜ろうと上体を屈むのみだった。
掻い潜った瞬間、ナイフを首筋に叩き込んで終わり。ガートス私兵部隊には、朝飯前の簡単なことだ。
ガキィンと、豪速球の硬球ボールが金属バットに当たったような異音が響く。
妖艶な女の表情は、苦悶とも愕然とも取れる表情でまたしても、ピンポン球のように飛んでいく。しかし、床へ何度か身体をバウンドし、ビルの柵を越えて落ちるのを見た京香は、不服そうなしかめっ面で、「右中間のボテボテヒットだったな。よし、次はホームラン狙う」と、頷いて残り三名の迷彩柄に視線を移して、構えた・・・・・・・・・卓球のラケットみたく、フィアットを掴んで・・・・・・・・・。バンパーとトップは先の打撃のためか、盛大に凹んでいた。それを見て、京香は残念そうに顔を顰めた。
「あぁ〜せっかく洗車して貰ったのにな・・・・・・・・・はぁー」
ローン払ったばっかりなのにと、愚痴っていた。
「あっ、あっ、あっ、ありえねぇ・・・・・・・・・」軽薄そうな男は、絶句した。
「おい? ビビるな。お前のチャチなボキャブラリーで、何とか場を和ませろ?」鉄面皮の女も顔を青ざめ、混乱した思考を誤魔化すように、理由の解らない事を口走る。
「流石・・・・・・・・・と、言うよりも反則だな・・・・・・・・・・・・」副長も歯の根が鳴らさないため、懸命に歯を食い縛るだけである。
真神京香は、片手でフィアットを持ったまま三人に視線を戻すと、暫時の間を置き、口を開いた。
「耐久性、抗魔力特化の障壁はAランク。肉体強化魔術は〈悪魔憑き〉を超えていて、獣人級に届きそうだし。まぁ、さきにノシちまったあの二人も気絶させた程度だから、大丈夫だと思うけど――――まさか? たかが高層ビルから落っこちて、死ぬような鍛え方はしてないよな?」
京香は恐る恐ると、心配そうに言う。その質問を多大な努力を持って、鼻で笑う副長。
「まさか――――そんな脆弱な者が鬼門街にいるとでも?」
虚勢のポーズだった。桁違いの実力を持つ存在を前にして、副長は己がプライドを賭けて不敵たる事を選び取る。
「そっかー安心した。でぇ? まだ続けるのか?」
「当たり前だ! 敵を前にして逃亡するか!」
副長の怒号と共に、突貫して空中から踊り掛かる三名。最高峰の頂を目指さんと肉迫する三名に、京香はニヤリと微笑んだ。
「上等!」
言下と共に、ドア越しからハンドル下に設置されたガラス張りのボタン――――その横には『Nitro 絶対にダメ! BY 仁』と、書かれていた。
(やっぱーほら、こう、カッコ良く決めなきゃ? ねぇ? 相手にも悪いし・・・・・・・・・ごめん!)
心の中で夫の仁に素直に謝る。京香の想像上の彼は「仕方が無いな〜」と、苦笑して許してくれた。やっぱ、仁は優しいな〜。
青空に浮かぶ誠とそっくりな男性は、頭を抱えて違うと絶叫していた。
笑顔でポッチと、ニトロ解除。
フィアットのマフラーから極太の火柱が上がる! 噴射された勢いで、靴底がジリジリとすり減らしながら前へと出ようとする。
それすら片手の腕力だけで荒れ狂う車体を押さえ込み、京香もまた空中へ!
「「「ダァァァァァァァア!」」」
「ハッァァァァァァァァ!」
裂帛の呼気が重なる!
軽薄な男は、人生に一度か二度と思える鋭い眼光を持ってナイフを突き刺さんと迫るが、フィアットを持った手は轟音と共に、ナイフをアッパーカットで弾き飛ばす!
右腕の痺れすら無視し、左手で素早く銃口を抜く!
右手は囮! ここだ! ここ以外無い! ゼロ距離射程! 例え弾丸を見切れる動体視力でも躱せるなら、躱してみろ!
眉間と銃口は僅か、五〇センチも満たない。その至近距離から、躊躇わずに引き金を搾る。
四五口径の怒号! 手首に疾る痺れと反動! 弾丸は放たれた! 女王を殺った!
そう、確信していた。そう確信し、笑みを作ろうとした次の瞬間に、右足の感覚が断絶した。そして灼熱。馴染みというのは、怖い物である。何発か喰らった事のある、弾丸の衝撃だと理解した。理解したが、納得できない。敵は銃など持っていない。何故?
「何で!」
「え? ヘディングした」
ありえねぇ――――そんな言葉も待たず、京香のフィアットによって叩き落とされる。
バレー選手のアタックみたいに、叩き込まれた軽薄な男は屋上床に叩き伏せられ、高々とワンバウンドしてビルの外へと、消えていった。
しかし、鉄面皮のように無表情な女は既に京香の背後。副長の肩を借りて更なる高度を得て、背後に回っていた。
右手にナイフを持ち、後ろから喉笛を掻っ切ろうと迫る!
「チェックメイトだ!」
ナイフを引こうとした瞬間、万力のように動かない。疾く、速く、早くと懸命に引こうとするものの、ナイフは微動すらしない。
そして、その正体はすぐに見せ付けられる。
バキィンと根元ごと砕かれ、グリップ部分だけ帰って来たナイフを見てから、京香に視線を移す。
猛獣が牙を突き立てるように噛み防ぎ、ナイフに亀裂を走らせ、オリファルコン合金のナイフが、ガラスのように噛み砕かれていた現実を。
「だから、〈キング〉じゃねぇっての」
ナイフを吐き出し、言葉遊びも加えながら火柱を噴かせているフィアットで横薙ぎを叩き込む。今度はボテボテのヒットではない。真芯を捕らえた、文句なしの場外ホームランだった。
そして最後に残った副長に視線を移す京香。だが、彼女は滞空時間中の大立ち回りのせいか、副長よりも下である。
どんな戦闘でも、上空を制したほうが有利。そして、空中戦なら尚更である。
「これで決める!」
部下達が作った最大にして、最後のチャンス。
銃は無駄。弾丸を通さない京香の〈障壁〉。ライフル――――アンチ・マテリアルライフルが今、喉から手が出るほど渇望しているが、そんな装備は無い。使えるのは原始的なナイフ一丁。しかし、〈障壁〉系も切り裂くように加工されているナイフなら!
ナイフの柄をガッシリと両手で掴んで、全体重を預けた乾坤一擲!
副長の死に物狂いの形相に、京香は優しさすら感じる微笑を見せ、
「迷い無く、いい表情だ」
呟いた時には、下にいたはずの京香が消えていた――――何処だと、躊躇した時である。日の光に反射していたナイフの輝きが、消えていた。
「まぁ、挨拶は言うか――――」
呟きに釣られて頭上を仰ぎ見る。
そこには、フィアットの屋根をスケボーのように乗った真神京香がいた。
鮮烈なまでの存在感。日の光を遮っているフィアットから覗けるのは、太陽のフレア。
フィアットのブースターを真下にして、上昇した真神京香の姿。
「お休み。坊や」
ニッコリと微笑んだと同時に、フィアットの後部が副長に激突した。そのまま、回転する京香と、慣性の衝撃に逆らえずにビルの屋上から落ちていく副長。
(出鱈目すぎる・・・・・・・・・“アンノウ”と、いい勝負じゃねぇか!)
ビルからまっさかさまに落ちながらも、薄れていく意識で罵倒の限りを尽くすが、京香に聞こえるわけが無かった。
四月一八日。午後五時四九分。神宮院コーポレーションビル屋上。
――――薄れていく――――酸素、酸素、酸素が欲しいよ。
そんなことしか考えられない脳味噌。そして、鼓膜に響いてくる誰かの声。
――――さて、人払いの結界も張ったし。聖剣を抜きますか?
面白そうな誰かの声と共に、上昇する身体。
光が眩しい! 急激な酸素が肺を冷たく満たしていく。口の中にある破片やらに喘いで、ゼリー状の膜が掛かったみたいな視界に、真っ赤な太陽が飛び込んできた。
「大丈夫か?」と、ニヤリと笑う母ちゃんのお顔が逆さまに見えていた。
おれの足は掴れたまま、ぶら下がり状態。でも、鎖の束縛はもう解れているため、瞬時にファイティングポーズを取る事が出来た。
「おっ? いい元気じゃねぇか?」
肉食獣のような笑みで繁々とおれを見る母ちゃん。
「さて。そんじゃ、さっさと封印しちまおうか?」
瞬間、空いていた右足で思いっきり母ちゃんの顔面目掛けて蹴りを放つ! しかし、蹴りは、鉄骨でも蹴ったような衝撃が疾る! 母ちゃんが何気なく上げた腕一本で防がれていると、気付いておれは驚愕どころの騒ぎじゃなかった。
「何でだよ? 普通、腕が折れるでしょ! 何喰ったら、そんなに頑丈なんだよ! 脛が! 脛が痛いって!」
「軟弱者め。カルシウムが足りないぞ? 今度からプロテインと一緒に牛乳を飲め」
美殊にも勧めろと、言いながら片手でおれを持ったまま何故か、ボロボロに凹んでいるフィアットの後部座席に押し込められていく。
「絶対に嫌だ!」
飛び出そうとしたおれの顔面に飛燕のような、ヤクザキックが鼻に激突した。シートに強かと後頭部を叩きつけ、朦朧とする。
効いたぁぁあ――――! すげぇ痛い! イタ! イタタ! マジで今のは痛い!
おれがゴロゴロと痛みにのた打ち回る隙に、母ちゃんが運転席に乗り込み、キーを回してエンジンを駆動させる。
「別にいいじゃねぇか? 封印されたら確かに不便だろうが、美殊は必ず面倒見てくれるつぅーの? 愛されている証拠と思えよ?」
「美殊のタメにならないじゃねぇか! 美殊の将来も考えろよ!」痛みを堪え、後部座席から起き上がりながら言うと、母ちゃんは心底怪訝な顔をし、おれを呆れ果てた眼で見て、
「まったく。美殊は一途っていうか、一直線というか・・・・・・・・・」頭を振って改めて、おれを見る。
「まぁ、それはお前と美殊の問題だから、とやかくは言わねぇ。けど、お前の封印は別だ。お前がお前で在り続けるためには、必要だ。それに――――」
母ちゃんは、肩を竦めてハンドルを握りながら・・・・・・・・・・。
「美殊を養女としたのも、こんな時のためだし」
今・・・・・・・・・何て、言った――――あぁ? 母ちゃん!
導火線に火が付いたように、頭の端から端までバチバチとスパークする。
全身に金属音が響き渡る。筋肉が、骨が、身体が、内側から作り変わっていく!
全身に漲る黒い流動の赴くまま、おれは翼を広げてフィアットのトップを爆砕。さらに、鎖を縦横に疾走させて車を貫通!
鎖はエンジンルームまで貫通し、その際に生まれた火花がガソリンに引火して車は内側から爆炎を上げる!
バチバチと燃えるシートと瓦礫すら、黒い甲殻は燃やせない。寧ろ、内側に燃える黒いく禍々しい〈モノ〉に比べれば、生易しい。そして――――眼前に立っている母ちゃんは、黒煙と橙色の炎すら燃やせない。否、爆炎の中心が母ちゃんだった。
全身から鮮やかなフレアの緋色を発し、静か過ぎる双眸でおれの姿を見ていた。今のおれの――――姿を。
遊び半分で昨日の晩、ちょっとばっかし立ち鏡の前で変身して、自分でも度肝を抜かれ、よろよろと後退りながら布団で丸くなってしまうほど、恐怖を精緻に作り上げた化け物の姿を。
「獣化現象までイケるか・・・・・・・・・・・・それも、正輝と似たフォルムか・・・・・・・・・」
今はもう死んでいて。今も母ちゃんの心の中で、〈敵〉としている兄で。おれの叔父で、おれを〈後継者〉と、死んだ今でもほざいている人物。
「【母ちゃん?】」
地獄の底から響いた声音では、似つかわしくないと解っている。でも、言わなくちゃ。
「【おれはその叔父さんとか、脇に置いておいて・・・・・・・・・】」
ジェスチャーで棚に置く動きを見せながら、
「【おれは母ちゃんにも美殊にも、おんぶに抱っこの情けない奴には、なりたくないんだ・・・・・・・・・】」
「・・・・・・・・・」
「【おれは、おれだよ。誰が何と言おうと】」
「そう。お前は私の子供だ。だが、正輝の甥でもある・・・・・・・・・」
拘る・・・・・・・・・何で、ここまで拘るんだ? そう苛立ちと訝しげなおれの心中にするりと、滑るように母ちゃんは言う。
「そして、お前は正輝と〈瓜二つ〉・・・・・・・・・生き写しみたく、似ているんだよ」
・・・・・・・・・・・はい?
「アヤメと駿一郎は、お前を仁に似ていると言うが、私にとって同時に正輝とも似ている意味になってしまうからな・・・・・・・・・」
弱々しい母ちゃんの独白。
父ちゃんはおれとそっくり。で、正輝って言う叔父さんもおれとそっくり。母ちゃんは父ちゃんと結婚した。父ちゃんの顔は、正輝って言う叔父さんとそっくり。
つまり・・・・・・・・・・・・。
「【母ちゃん・・・・・・・・・ブラコンだったの?】」
言った瞬間、顔面を殴られた。音速なんて目じゃない。殴られた瞬間、腰を支点にして八回くらい回転してから、ようやく床を滑りながら止まった。
痛いけど・・・・・・・・・ビルから落ちないでよかった。
「てめぇ〜! 人がシリアスに過去を話そうって時に水を刺すんじゃねぇ! 次に何か言ったら、竹の笹をケツに突っ込んで奥歯ガタガタいわすぞ!」
今の一撃はかなり効いた。もう、立てない・・・・・・・・・。
「でぇ〜? 聞くの? 聞かないの? 何でこんな無茶してるかを? えぇ?」
髪をかき乱しながら、おれに近付いて頭を鷲掴みして持ち上げる。烈火の如く怒り狂ってる。
「【きっ・・・・・・・・・聞きます・・・・・・・・・】」
それ以外の選択肢ってあるのかよ?
同時刻。
コーポレーションビルに到着した霊児は、ビルの外で重傷を負っているAチームから情報を入手し、階段を使って屋上を目指していた。
(人払いの結界が張られているからな・・・・・・・・・さすがに、エレベーターとか乗ると気付かれる可能性もある)
気配を断ち、息も切らさずに階段を駆け上がり続ける霊児。
(しかし、“アンノウ”と京香さんか・・・・・・・・・とりあえず、やり過ぎない様に止めておかなきゃ、相手に気の毒だ・・・・・・・・・)
走りながら、情報だけは手に入れなければと思考するが、霊児はまだ知らない。
屋上で待ち構えているのは、鬼門街すら揺るがす親子喧嘩の渦中とは。